合間縫う腑に落ちない音楽

肩透かしのカタストロフィは続く

立花隆さんに「知の巨人」はそぐわない

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立花隆さんが亡くなっていた――。そんなニュースを見ながら、そういえば彼に関する思い出があるんだったと思い出した。歳のせいで思い出すのに時間がかかるようになってしまったし、もう二度と思い出さないかもしれないのでメモ。

福利厚生の手厚い出版社に勤めているとき、西片という高級住宅地に住んでいた。前世紀の終わりから12年ほどの間の話だ。

自社ビルが閉まるまで仕事をした後、他社の編集者たちと飲んで(自社の編集者と飲んでも何の学びもなかった)終電で帰ってきて、夜中に春日駅近くの「なか卯」でうどんを食べて、朝方まで仕事をしながら椅子で2時間ほどウトウトしてから、青山の会社までタクシーで行くという生活をしていた。

その「なか卯」の指定席の向かいに、よく立花さんが座っていた。小石川の猫ビルから夜道を歩いてきたのだろう。おばさんのような顔で「またいるな」といった感じの上目遣いでこちらを見ていた。

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立花さんの本で個人的に一番印象に残っているのは『武満徹・音楽創造への旅』という2段組781ページの本で、これはもともと僕が就職して2年目の1992年から6年ほど「文學界」に連載されていた。

しかし連載が終わってもなかなか単行本にならない。「早く出して」と編集部に何度か催促の手紙を書いていたが、出る気配がまったくないので諦めていたところ、連載終了から18年も経った2016年にようやく刊行された。

立花さんが他のノンフィクションライターと違うのは、音楽への理解が深く、武満さんの音楽にも心から共感していたところだと思う。

とはいっても、音楽史的な流れや位置づけを簡潔に整理し鮮やかにさばいてしまう「理解」なら、例えば浅田彰などには全く及ばない。そういう意味で、立花さんに「知の巨人」という言葉はそぐわない気がする。

知という言葉には、記憶力とか、情報の蓄積と体系化のような意味合いがまとわりつく。立花さんはそういう意味でのひけらかす「知」には興味がなかったのではないかと思う。むしろ「好奇心の化け物」とでもいった方がいい。すべてがワタクシゴトなのだ。

『音楽創造への旅』は、単に事実を読みやすく小綺麗にまとめたノンフィクションではない。ただひたすらに聞きたいことを聞き、出版社にテープ起こしをさせて、それに武満さんの本の引用や自分の考えなど手を入れて、発表し(て原稿料を得て)、新しく出てきた疑問をまた聞く、といったしつこい繰り返しによって書かれた断片がまとめられたもの、ということが伺える。

特に前半は、初期の「実験工房」での集まりや、出世作「弦楽のためのレクイエム」の話で、武満さんが楽譜の書き方もままならない中、本当に独学で試行錯誤していた話に割かれているが、もうバランスも巧みさも何もあったものではない。好奇心に突き動かされた生そのもの。あるいは、ただの趣味。

後に百時間ほどのインタビュー(直接会ったり電話だったりしたと思うが)になったと振り返っていたが、こういう仕事、というか羽振りがよかったころの出版ビジネスと一体となった営みができた時代がうらやましい。

小石川の猫ビルも、そういうビジネスモデルが成り立った時代に、売れに売れたお金をビルと本に注ぎ込んでできあがったものだろう。それでも日々のカネの使いみちは、本を買い漁り、書きたいことを書くほかは、夜中に「なか卯」でうどんを啜るくらいだった。

そんな「なか卯」も小石川の再開発で2014年くらいに閉店したようだが、立花さんはその後、どこで夜食を食べていたのだろう。

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この本はアマゾンレビューもかなり高いので、未読の方はそれだけでも見て欲しい。

そういえば武満さんが亡くなったとき、NHKが「武満徹が残したものは~立花隆が伝える作曲家の「愛」~」という追悼番組を放送していた。

武満さんが亡くなる2日前、たまたまFMでバッハの「マタイ受難曲」が流れたのを聞きながら「心身ともに癒やされた」とつぶやき、その翌日に容態が急変したという話をしながら、立花さんは涙を浮かべて絶句した。

それを見て、角栄だの共産党だの脳死だの農協だのと書いてきた立花さんだけど、武満さんのインタビューというか、彼を本当に理解し尊敬していて、彼について書く仕事を大事にしていたんだろうなと思った。

YouTubeを探したら、立花さんが絶句する部分の動画があった。1時間50分過ぎのところだ。

youtu.be

『音楽創造への旅』のあとがきに、連載が単行本化するきっかけとなった女性の悲痛な死について書かれている。がんのために喉が切り裂かれて声が出ないその女性は、死の直前に「あの本お願いね」とくちびるを動かしたという。