合間縫う腑に落ちない音楽

肩透かしのカタストロフィは続く

東浩紀「平成という病」への疑問

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東浩紀の「平成に入る直前の日本は大きな可能性を秘めた国だった」という認識は、ちょっと信じられないんだけど、これが数歳の差というやつなのか?

確かに昭和の終わり、日本は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」ともてはやされた。東も、こんなことを書いて「大きな可能性」の理由としている。

世界第二位の経済大国で、欧米も仰ぎ見る技術大国で、時価総額で世界トップの企業がごろごろとあり、若者も多く、人口もまだ増えていて、二一世紀は日本の時代だと言われ、新首都の建設さえ真剣に検討されていた。

でも、実際には問題はすでに顕在化しはじめていて、結局平成の日本は、エズラ・ヴォーゲルの同名の本「ジャパン・アズ・ナンバーワン」(1979年)の末尾に「成功後、日本のモデルは生き残りうるか」で書かれていた通りの衰退を迎えたのである。

よく言われているように、日本のモデルは、国際経済や政治の土壌も手伝って高度成長を生かすにふさわしい制度であった。しかし学者や専門家たちは、日本の(その時点での)現在と将来について、次のような悲観的な分析をしていた。

いわく、日本製品の国際市場における飽和、製造業における韓国や台湾の台頭、終身雇用制の弊害、プライドが高くなる高学歴労働者、社会の多様化に伴う政治家の意思決定の困難と行政の能率低下、「追いつけ追い越せ」後のヴィジョン喪失、などなど。

「希望は崩壊」だった平成初期

平成3年に大学を卒業し、最初に入った会社は、従業員が千数百人の典型的な日本企業だった。そこで目にしたのは「地方自治体が潰れても我が社が潰れることはない」と鼻高々でありながら、その実態は「土人」である日本人の夜郎自大な姿だった。

入社まもなく、バブル崩壊という低成長時代の号砲が鳴らされた。にもかかわらず、会社の中は何も変わらなかった。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が指摘した課題がまったくビクともしないのを目の当たりにして、驚き呆れたものだった。

そのとき、“これから少なくともあと2~3回は、これと同じか、あるいはこれを超えるような崩壊が来るだろう”と確信した。

いや、それが来ることにしか「希望」が見いだせなかったのだ。

その後、2000年前後のITバブルとその崩壊は、どちらかというと普通の日本企業とは関係ないところで起きていた。なので結果として「やっぱITなんてチャラチャラしたやつらはダメなんだよ」と、昭和おやじたちを勢いづけていたくらいだったと思う。

2008年のリーマンショックのときも、最初は「アメリカの話だし、そんな大したことにならないだろう」と思われていて、まだ「バブルよ再び」みたいな話をしている人たちがいた。でも、やっぱりどうしようもなくなって大騒ぎになった。

このときも、企業の対応は本質的でなく、中小企業との取引を一方的に中止するなどのコストカットに走り、銀行はむやみな貸しはがしをしていて、強いものが弱いものを虐げるだけだった。

自分たちの内部に大きな問題があることに薄々気づきながら、手を付ける会社はほとんどなかった。

平成の終わりに「ようやくマシになる」

その後、何を節目と決めればいいのか迷うが、ともかく、いったんは崩壊したITバブルの胞子が再び芽を出し始め、ベンチャー企業が雨後の筍のように出てきた。

彼らが変えたのは、まさに「ジャパン・アズ・ナンバーワン」で指摘されていたマネジメントと働き方の問題だった。

もしかすると80年代日本を研究することで成長を果たしたアメリカのノウハウが、このとき逆輸入されたのかもしれない。

そこに大企業の本格的な行き詰まりが重なり、国が「働き方改革」などという旗を掲げ、トヨタの社長と経団連会長が「終身雇用もう無理」と言い出した――。

これが平成3年に社会人となり、平成30年をサラリーマンとして過ごした私が見た日本の企業社会だ。

入社直後から日本企業のおそまつさ、くだらなさを痛感し、それがボロボロとこぼれていく様をみながら、ああ、日本もようやくマシな社会になるのかな、と思っていたわけである。

だから東浩紀がこのように述べるとき、これがどこからの視点なのかと訝しく思えて仕方がない。

平成期の日本人は、自分たちになにができてなにができないのか、そもそも自分たちはなにをしたいのか、きちんと考えないままに自尊心だけを膨らませて、空回りを繰り返して自滅した。

パラダイム転換を語る意思はないのか?

東は昭和の終わりに可能性を見て、それと対比して平成を貶す。その視点は、単に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を延命させたい、昭和はよかったと懐かしんでいるおっさんと同じではないか?

昭和のおっさんの目が届かないところで、世の中は変わった。それは昭和のおっさんにとって望ましい変化だったかどうかは分からない。しかし、そんなことはどうでもいい。

「批評や思想を改革するのではなく、それらを支える権威主義そのものをひっくり返し、読者層を含めてすべてをリセットすることこそ必要」という東は嫌がるだろうが、パラダイムの変化が見えていたのは(かつての売れっ子)浅田彰だ。

彼は80年代初頭の「逃走論」の中で、こう言っている。

(近代文明を成長させてきたパラノ・ドライブは)成長が続いている限りは、楽じゃないといってもそれなりに安定していられる、というワケ。ところが、事態が急変したりすると、パラノ型ってのは弱いんだなァ。ヘタをすると、砦にたてこもって奮戦したあげく玉砕、ってことにもなりかねない。

当時20代前半の学生が言っていたことを金科玉条のように扱うつもりはないし、「スキゾ=パラノ」という見立てが有効かどうかはここで判断しない。

しかし、ここにはパラダイム転換の裂け目を見出し、行く先を予想し、それがどういう変化であるかを言い表そうという意思がある。

私は「逃走論」を予言として読み、「平成」という時代を「「昭和」という時代を完全に終わらせるための猶予期間」と前向きに評価した。そういう見方は東にはないのだろうか。

問題は「昭和的な原理」そのもの

東が「平成という病」で書いた、皮相な「改革」の祭りは、確かに事実としてあった。しかしそれは最初から、改革の名のもとに「何も変えないためにすべてを変えたように見せかける」ための偽装工作であって、そんなものを書き連ねてもしようがないとしか思えない。

一方で平成には、例えば男性の生涯未婚率の急増や、ブラック企業批判、LGBTといったテーマが、社会の明るいところに出てきた。

それらは、昭和的価値観からすれば、問題を訴える側を「治療」されるべき病を抱えた存在と見なしたかもしれないが、平成においては、それを前提として社会のしくみや価値観をどう変えるべきかという話になっている。

だから私には、東が「かつて日本には未来があった。平成の三〇年は、祭りを繰り返し、その未来を潰した三〇年だった」と憂鬱そうにポーズを取っているのは、滑稽でダサいと思う。

だから逆に、やや楽観的だがこう書いておこうと思う。昭和の終わり、日本には潜在的な課題がたくさんあった。人々はそこから目をそらそうとした。そのため平成の30年は、その解決を先送りしようとする「改革」が次々と現れ、その都度“首尾よく失敗”してきた。

そもそも、昭和の終わりに積まれた問題は、昭和的な原理で解決することはできないものだった。むしろ問題は、昭和的な原理それ自体だった。だから平成は、昭和的原理が崩れることを待つしかなかった。

平成の終わり、いよいよ問題は問題として認識されつつある。ニセの「改革」に飽きてきたわれわれは、ようやく自分たちの社会を自分たちの手で変えようとするスタートラインに立つことができるかもしれない。

平成から可能性を汲むのは次世代

なぜ東は、平成を「未来を潰した三〇年」と呼んだのか。それは、イケてない自分を時代のせいにするためではないのか。東はこう書いている。

批評家の才能とはなにか。もしそれが時代と無意識に共振することなのだとしたら、ぼくにはたしかにその才能があった。けれどもそれは、時代がもし不毛だとしたら、自分の人生もまた不毛になることを意味している。

ずいぶん自らを買いかぶっているではないか。「祭り」「改革」だけが平成だったわけではない。そこに焦点を当てて「時代」を語ることの虚しさにこそ気づいた方がいい。

東は、平成で可能性を掴み損ねたことについて「前出の堀江貴文がその典型例だ。彼にはあきらかにもっと大きな可能性があった」と言っている。確かにそういう側面もあるだろう。

しかし、ホリエモンはおそらく、収監されたことによって可能性が潰された、といつまでも言い訳にすることはないと思う。むしろ実際には、あのことがあったからできたこともある。人生とはそういうものだ。

だから東には「新元号を生きる新しい世代には、そのような失敗を繰り返してほしくない」などとつまらない説教を始めないでもらいたい。新時代を生きる世代は、あなたのことなど忘れて生きていく。

平成という時代をどう活かすか殺すかは、次世代にかかっていて、われわれはそこに関与することはできない。おそらく彼らは、昭和よりも平成から、いろいろな可能性を汲み出して新しい道を作っていくことだろう。